アドラー心理学を学ぶ中で、「縦の関係ではなく横の関係を」という言葉は、多くの人の心に響きます。これまで、上下関係に縛られ、相手の顔色をうかがいながら生きてきた。その重い鎖から解放されるような感覚。アドラーが説く「対等性」は、その解放の約束として聞こえます。
その言葉を信じた一人が、会社員のダイスケさん(30代)です。上司からの理不尽な命令に従うのではなく、対等な一人の人間として意見を述べる。それはアドラー的には「正しい」ことではないでしょうか?ところが、その試みは、組織の中で予想外の反発を生み出しました。
「アドラー心理学を学んだのに、なぜ職場では通用しないのか?」その問いが、AdlerHubに寄せられました。相談者は、ダイスケさん(30代・営業)です。
「アドラーは『上下関係ではなく横の関係だ』と言いますよね。だから、理不尽な命令をする上司に、一人の人間として対等な議論を挑みました。その結果、目をつけられ、重要なプロジェクトから外されました。会社で横の関係なんて幻想ですか?」—— ダイスケさん(30代・営業)
ダイスケさんが陥った罠。それは、アドラーが説く「横の関係」の本当の意味を誤解していたことにあります。対話を通じて、その誤解を解き明かしていきましょう。
「役割」と「人間の尊厳」は同じものではない
組織とは、本来「役割分担の仕組み」です。上司と部下の関係も、完全な対等ではありません。なぜなら、上司は「チーム全体の成果を責任を持つ役割」を持ち、部下は「割り当てられたタスクを実行する役割」を持っているから。この「機能的な階層」は、組織が機能するための必要条件です。
アドラーが説く「横の関係」は、この「機能的な階層」を否定することではありません。むしろ、「人間としての尊厳は対等である」ということなのです。
ダイスケさんの場合、上司の理不尽な命令に対して「対等に議論を挑んだ」というのは、実は「役割の階層を無視した」という意味になっていたのかもしれません。上司は、確かに人間としては対等。でも、組織内での役割は異なるのです。
「横の関係」を「支配権を手放す」と履き違えていないか
対話の中で、智鶴がダイスケさんに問いかけたのは『あなたが上司に「対等に議論を挑んだ」とき、その背後には何があったのか。「私の意見は正しい」という確信はありませんでしたか?』という質問です。
実は、ダイスケさんが「対等に意見を言う」と思ったことは、無意識のうちに「上司の権限を否定する」という意味になっていたのです。組織の中で、上司の指示を「対等に受け付けない」ということは、その上司の「役割」そのものを無視する行為。これは、決して「横の関係」ではなく、むしろ「別の形の縦の関係(自分が上になろうとする支配)」に過ぎません。
横の関係とは、相手を尊重し、同時に相手の役割を認めること。つまり、「上司という役割の人間と、対等な尊厳を持ちながら関わる」ということなのです。
「相手に強要する」ことの矛盾
ダイスケさんは、アドラーの教えを「武器」にしていたのかもしれません。「上司よ、あなたは部下を支配してはいけない。対等に扱うべきだ」——そう言っていることは、実は相手の権限を奪おうとする別の支配ではないでしょうか。
これは、アドラー心理学の本質を外しています。アドラーは「他者を変えるための学問」ではなく、「自分が変わるための学問」です。相手の上司が「縦の関係」を強いてきたとき、それに対抗する方法は、相手を否定することではなく、自分の立場を明確にすることなのです。
「役割を認めつつ、尊厳を守る」という歩み方
対話を通じて、ダイスケさんが学んだことがあります。上司の指示が理不尽だと感じたなら、その時点でできることは何か。
「上司という役割」を認めた上で、「自分の人間としての尊厳を守る」という両立をすること。例えば、理不尽な命令に対して「かしこまりました」と従いながらも、心の中では「これは理不尽だ」と認識する。そして、その後の適切なタイミングで、「この方法では成果が出にくいのではないか」と、提案という形で「横の関係」での意見を述べる。
これが、組織の中で「縦の機能的役割」を認めつつ、「横の人間的尊厳」を保つ方法です。
「アドラーの理論ではなく、アドラーの精神で生きる」
ダイスケさんが気づかされたことがあります。アドラーの理論ではなく、その精神を「生きる」ということの難しさと美しさです。
「対等な関係」を求めるあまり、相手の役割を無視してしまった。「正しいアドラー的な関わり方」を求めるあまり、相手を支配しようとしてしまった。ダイスケさんが学んだことは、アドラーの理論ではなく、その理論を「人間らしく」実践することの難しさでした。
あなたが今、職場の中で感じている「理不尽さ」や「支配」。それは、単なる相手の問題ではなく、「相手の役割を認めながら、同時に自分の尊厳を守る」という、難しくも美しいバランスを学ぶ人生の課題かもしれません。
その課題に向き合うことで、あなたの職場での関わり方は確実に変わります。上司を尊重することと、自分を守ることは矛盾しません。相手の役割を認めた上で、自分の人間的な尊厳を守る——その両立こそが、本当の意味での「横の関係」なのです。
組織の中でアドラー心理学を生きることは、理論を完璧に実装することではなく、人間関係の複雑さを尊重しながら、自分のペースで一歩ずつ歩み続けることです。あなたがこの視点を手にした時点で、その道はもう始まっています。