「ありのままの自分を受け入れる」という言葉は、多くの人にとって救いとなります。しかし、その言葉を「今のダメなままでいい理由」として使ってしまったとき、私たちは成長という翼を自ら畳んでしまうことがあります。
今回は、アドラー心理学を学び、自分を責めるのをやめた結果、かえってモチベーションを失ってしまったという30代エンジニアの方からの相談です。
「以前は完璧主義で自分を追い詰めていましたが、アドラーを学んで『自己受容』を意識するようになりました。できない自分を許し、責めるのをやめたんです。 ですが、そうしたら仕事でミスをしても『まあ人間だし』と流すようになり、新しい技術を学ぶ意欲も消えてしまいました。今はただの向上心がない、怠惰な人間になった気がして怖いです。アドラーは、このままの自分でいろと言うのでしょうか?」—— タカシさん(30代・エンジニア)
「自己受容」、つまりありのままの自分を不完全なまま受け入れることとは、現状に甘んじるための「免罪符」なのでしょうか。それとも、新しい一歩を踏み出すための「土台」なのでしょうか。
智鶴たちとの対話を通じて、その境界線を一緒に探っていきましょう。
「自己受容」と「自己正当化」の決定的な違い
タカシさんが陥っている状態は、アドラーの言う「自己受容」ではなく、実は「自己正当化」、いわば自分への言い訳に近いかもしれません。
「自己受容」とは、今の自分を「100点満点だ」と偽ることではありません。ましてや「このままでいい」と開き直ることでもありません。「今の自分は不完全だが、その不完全な自分をどう使いこなしていくか」という建設的な態度を指します。
一方、自己正当化は「できない自分」を認めることで、努力や責任から逃れるための隠れ家を作ってしまうことです。
「人間だからミスをする」のは事実ですが、それを「だから改善しなくていい」という結論に結びつけてしまうのは、目的論的に言えば「成長に伴う苦痛や失敗のリスクを避けたい」という目的が隠れています。
「変えられないもの」と「変えられるもの」を見極める
アドラー心理学における自己受容の核心は、「変えられないもの」を受け入れ、「変えられるもの」を変える勇気を持つという姿勢にあります。
私たちが自己受容すべきなのは、過去の失敗や、生まれ持った素質、現在の能力といった「現時点での事実」、すなわち自分では変えられないものです。しかし、「これからどう動くか」「どう改善するか」は常に「変えられるもの」です。
「ミスをした自分」という事実は受け入れる。しかし、「次も同じミスを繰り返す自分」でいるかどうかは、あなたの選択次第です。ここを混同してしまうと、自己受容は単なる無気力へと繋がってしまいます。
自分という「不完全な部品」を使いこなす
アドラーは、人間を「交換不可能な部品」のようなものだと考えました。私たちは、自分という部品を取り替えることはできません。しかし、その部品をどう磨き、どう組み合わせて使っていくかは、私たちの自由です。
「向上心」、すなわち今の自分をより良くしようとする健全な意思とは、他者との比較で勝とうとすることではなく、「昨日の自分より一歩前へ」進もうとする意思のことです。
自己受容によって「自分を責めるエネルギー」を節約できたのであれば、その余ったエネルギーを「どうすればもっと誰かの役に立てるか」という方向に向けてみてください。
「不完全な自分」を受け入れる勇気とは、不完全なまま、それでも一歩踏み出す勇気のことなのです。
「自己受容」は、現状に留まるための言い訳ではなく、新しい目的地へ向かうための出発点です。自分を責めるのをやめたのなら、次は「その自分を使って、何を創造するか」を自分に問いかけてみてください。不完全なあなたは、そのままで十分に、前へ進む資格を持っています。