アドラー心理学を学び始めると、誰もが「劣等感」という言葉に出会います。「劣等感は成長のエネルギーである」という教えは、現状を変えたいと願う多くの人を勇気づけます。「自分も変われるはずだ」と希望を抱くのです。

しかし、熱心に学べば学ぶほど、逆に「自分のできていないところ」ばかりが目につき、落ち込んでしまう……そんな壁にぶつかる人は少なくありません。「変わらなければならない」と思えば思うほど、現状の至らなさが浮き彫りになり、身動きが取れなくなる。

成長の原動力のはずの劣等感が、なぜか自分を責める刃になってしまう。それは、アドラー心理学の「罠」に陥っているサインかもしれません。

そんな悩みが、AdlerHubに寄せられました。相談者は、ミサキさん・20代女性です。

「アドラーの『劣等感は成長の原動力』という言葉を信じて、自分を高めようと頑張ってきました。でも、最近は自分の欠点ばかりを数えて落ち込む毎日です。劣等感がブレーキになっている気がします。私は何が間違っているのでしょうか。」
—— ミサキさん(20代・女性)

ミサキさんは、アドラーを学ぶことで「より良い自分になりたい」と純粋に願っていました。しかし、その思いが、知らず知らずのうちに自分を苦しめる鎖に変わっていたのです。智鶴や和香との対話をつうじて、劣等感を成長の力に変えるヒントを探してみましょう。

「劣等感」と「劣等コンプレックス」の決定的な違い

アドラー心理学において、私たちが日常的に使う「劣等感」という言葉は、じつは2つの異なる概念に分けられます。それが「劣等感(Inferiority feeling)」と「劣等コンプレックス(Inferiority complex)」です。

「劣等感」とは、理想の自分と現実の自分を比較したときに生まれる「もっと良くなりたい」という健全な気持ちです。これは成長の動力を生み出します。

いっぽうで、「劣等コンプレックス」とは、「自分は〇〇だから、できない」と、劣等感を言い訳にして歩みを止めてしまう状態を指します。「学歴がないから成功できない」「人見知りだから友達ができない」といった思考です。

ミサキさんが陥っているのは、健全な「劣等感」ではなく、自分の欠点を「行動しないための言い訳」として使ってしまう「劣等コンプレックス」の入り口かもしれません。

比較の対象が「他者」になっていませんか

なぜ、健全な劣等感がコンプレックスへと歪んでしまうのでしょうか。その最大の原因は、比較の対象が「他者」になっていることにあります。

アドラー心理学が説く健全な劣等感とは、「理想の自分」との比較から生まれるものです。昨日の自分より、今日の自分が少しでも成長しているか。そこに焦点を当てます。

しかし、周囲の優秀な同僚や、SNSで見かける成功者と比較し始めると、劣等感はとたんに毒(コンプレックス)へと変わります。他者との比較には終わりがありません。他者を基準にする限り、つねに「勝った・負けた」の競争になり、心が休まることはないのです。

「できない自分」を維持する目的

アドラー心理学の根幹である「目的論」の視点から、ミサキさんの状態を考えてみましょう。「落ち込んでしまう」ことには、じつはミサキさん自身が気づいていない「目的」があるのかもしれません。

たとえば、ミサキさんのように「自分はまだまだダメだ」と落ち込むことで、「温めていた企画書を出して、失敗するリスク」から自分を無意識に守っていた、というように。

「私は今、悩んでいる最中だから、動けなくても仕方がない」という免罪符を、自分で作ってブレーキを踏んでいる可能性があるのです。厳しい現実に直面するのは痛みを伴いますが、この「目的」に気づくことが、殻を破る大きな第一歩となります。

「昨日の自分」と比較する勇気

ミサキさんがこれから取り組むべきは、比較のベクトルを「他者」から「自分」へと戻すことです。

他者の成功を喜べない自分を責める必要はありません。まずは、「今、自分にできること」に集中しましょう。どんなに小さな進歩でも構いません。

「今日はいつもより丁寧に挨拶ができた」「読みかけの本を1ページ読み進めた」。そんな小さな「できたこと」に目を向け、自分を「勇気づける」習慣をつけていくのです。

「劣等感」は、あなたが「もっと良くなりたい」と願っている証拠です。その火を、他者との比較で消してしまわないでください。比較すべきは、常に「昨日の自分」です。あなたが自分の成長に集中し始めたとき、劣等感は本当の意味で、あなたを未来へ押し出す「勇気」へと変わるはずです。

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