「承認欲求を捨てよ」。アドラー心理学の名著に書かれたこの一言を実践し、SNSの「いいね」を気にしないことに決めたフリーランス。自分の作品への外部からの評価を気にしないようになったはずなのに、反対に虚しさが増していった……

そのような「承認欲求の副作用」とも言える悩みが、AdlerHubに寄せられました。まずは、ご相談の内容(ユウナさん・20代フリーランス)をご紹介します。

「『承認欲求を捨てろ』という教えに従い、SNSの『いいね』を気にしないようにしようと決めたので、『いいね』を狙った投稿を辞めてみたんです。最初は『いいね』の数ばかり気にして投稿していたのに、それを辞めたら、『いいね』が減ってしまって、反応も少なくなると、自分の存在が感じられなくなる。自分の作品が誰の役に立っているのか、わからなくなってしまった。アドラーは本当に『人から認識されない人生』を勧めているのでしょうか」
—— ユウナさん(20代フリーランス)

なぜ、自分を解放するための「承認欲求の放棄」が、ユウナさんを虚しさの淵へ導いてしまったのでしょうか。アドラーは本当に「人間らしさ」を否定しているのでしょうか?

実は、アドラーが否定したのは「外部からの褒める・貶す評価」であり、「自分の作品が誰かの役に立っているという実感」——つまり「貢献感」は、むしろ人間にとって最も大切な心理的栄養なのです。案内役の二人の対話から、その違いを探ってみましょう。

「承認」と「貢献感」を混ぜないこと

ユウナさんが陥った罠、それは「『承認欲求』(他人に褒められたい、認められたいという気持ち)を否定すること」と「自分の作品が役に立っていることを感じること」が全く別のものであることに気づかずに、両者を一緒に放棄してしまったことにあります。

アドラー心理学において否定されるのは、外部からの評価に自分の価値を依存させることです。しかし同時にアドラーが強調するのが、「自分の作品が誰かの役に立っている」という実感——それが『貢献感』(自分が相手のためになっているという感覚)であり、人間にとって本当に大切な心の栄養なのです。

SNS時代における「見えない貢献」の実感

SNSの「いいね」という数字は、確かに「外部の評価」に過ぎません。ユウナさんがそれを手放したのは、非常に正しい判断です。しかし、その数字の背後には、本当に「あなたの作品に心が動いた誰か」がいるのです。

大切なのは、「数字」ではなく「つながり」——いや、正確には「自分の表現が、誰かに届いている」という、ただそれだけの事実。その事実の中に、人生の本当の喜びがあるのです。

「個別のコメント」に隠された本当の声

ユウナさんへの提案——それは「いいね」の総数は見ずに、コメント欄を開くことです。そこには「あなたのおかげで」「あなたの表現が好きです」という個別の、具体的な「つながり」が存在しているはずです。その個別のメッセージの中にこそ、アドラー心理学が説く『共同体感覚』(みんなが仲間だと感じる気持ちの中で、自分が役に立っている)の実感があるのではないでしょうか。

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